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出村邦彦のプロフィール




<名前>  
出村 邦彦(でむら・くにひこ)

<出身地> 
茨城県北茨城市富士ヶ丘

<身長・体重>
171cm ・ 68kg

<星座・血液型>
牡羊座のB型

<尊敬する人>
上杉 鷹山

<免許>
自動二輪 普通 大型 アマチュア無線 調理師

<趣味>
ヨット グライダー カヌー クロスカントリー キャンプ 釣り(渓流海)  トローリング 
スキンダイビング  パラグライダー お絵描き 焚き火を囲んでの一杯自己流ダンス? 一時期乗馬

<経歴>
◎――楽しい有限会社 飲食部「回転すし すし八」。
情報部「気づきドットコム」代表。

◎――1956年茨城県北茨城市生まれ。多摩調理師学校卒業後、外国航路のコックを
皮切りに高級料亭「中安」など飲食店での修行を積み、1990年独立。
回転すしすし八開業。2000年4月神田昌典氏主宰顧客獲得実践会に入会
集客技術を学び2001年当会主宰の社長のアカデミー賞に於いて「最優秀賞受賞」。

◎――2003年情報部設立。「手書きチラシ トレーナー」として、
手書チラシセミナーなどを手がけさまざまな業種において、成功者を多く 輩出させる。

右脳発想をビジネスに活かし、ニュースレター・DMなどのビジネスツール作成法を、
セミナー・講演会などを通じ指導する。

2006年より正式に個人・法人向け、ビジネスツールの
コンサルティングの受付開始。

◎――このデジタルの時代にアナログを持ち込み、チラシ・DM・HPなどの反応率を上げる。
商売とは、人対人を基本に人間らしさを前面に打ち出すことを信条としている。

◎――ビジネスにおいての発想方法を分かりやすく解説し、
セミナー・電話相談などを通じ 数々のアイデアを提供。
今後ビジネス情報だけでなく、楽描き(お絵描き)を通じ、
家族の絆を深めたり、生涯の宝を身につける楽描きクラブを発足。
だれでもたった二時間で描ける「楽描きビデオ」作成。

2004年10月 「儲かる手書きチラシ作成術」出版
2005年1月より 「月間近代食堂」著筆連載中
2006年4月 「もっと儲かる全国手書きチラシ実例集」出版



こんにちは、僕の名前は出村邦彦といいます。
外で遊ぶ事が大好きです。


現在、福島県いわき市で回転すし店 「すし八」を経営しています。

僕は、子供の頃からすし屋になる夢をもっていました。
小学生のころからです。

しかし、なぜその頃からすし屋になりたかったのかわ分かりません。
僕には、茨城県北茨城市の常磐炭坑に勤める父がいました。

小学校2年まで住んでいましたが
僕にはすしを食べた記憶がなかったのです。

その後、東京に引っ越しましたが、田舎の炭坑町で育った
僕の遊び場は、山や川がほとんど。

山に登れば、そこにはいつも美しい海が広がっていました。

そんな田舎で育った僕が、東京に行って一番不思議に思った事は
山に登っても海が見えなかった事。

たぶんそれは、田舎だと、ちょっと山に登ると必ず海が見えたからだったと思います。


はじめの引越し先は昭島でした。
そこは、多摩川のすぐそばで 以後、ぼくの恰好の遊び場になりました。

そのころはまだ多摩川もきれいでしたので 毎日釣りをしたり夏には毎日のように
泳いで遊んだのです。

2年もしないうちに八王子に引っ越すことが決まり
よく遊んだ多摩川ともお別れが来てしまいました。

しかし、八王子も現在のように開発されてなく 多摩丘陵には雑木林が沢山あり
僕は毎日そこに通っていました。

近くには、小さな川も流れていて、ザリガニ釣りや
どじょうを釣った事を覚えています。

中学生になった僕は、自転車を買い換えてもらいました。

この頃から、自分の力で遠くまで行くことができるようになり
行動半径がいっきに広がったのです。

夏になると、自転車でキャンプに秋川まで行き
川に潜り魚を手づかみしたり、流されたりしながら元気に遊びました。

今は、マウンテンバイクがありますが、そのころはそんな気のきいたものは
無かったので、自分でマウンテンバイクを作った事もあります。

それに乗り、高尾山の頂上まで行ったり
モトクロスのまねごとをしたりもしたのです。

趣味と言えるものもたくさんありました。

その中で一番先に止めたのが、切手収集です。

ぼくは、新しい切手が出ると郵便局に買いに行くのですが
一枚の大きなシートでは買えないので、一枚 二枚と
少しずつ集めていました。

ある日、友達が自分もはじめたというので見に言ったのです。

ストックブックを見せてもらったぼくは、びっくりしました。
そこには、沢山の新しい切手がシートごとストックされていて、何冊もあるのです。

本人はお父さんに買ってもらった、と言っていたのですが
それにしてもこれは収集する趣味、それ以来どんどん
熱が冷めていき止めてしまったのです。

その後ぼくを熱くさせたのが、Uコンでした。

Uコンというのは、エンジンの付いた模型飛行機に
ワイヤーを付けコントロールし飛ばす模型飛行機です。

何機作ったか分かりませんが、ほとんどが自作でした。
その他にも、プラモデル・モデルガン・釣り・ラジコンのバギーなど。


本当に色々とやっている腕白な少年でした。
中学を卒業するとすぐにバイクの免許を取り
今度はツーリングに出かけるようになったのです。

一番の長距離は、生まれ育った北茨城でした。

そこには、母の実家がありおばあちゃんが居ましたのでいい目的地だったのです。

距離は250キロくらいでしたが、ソロツーリングとしては長い方でした。

ぼくは、オートバイに夢中になりました。

ついにモトクロッサーを手に入れ、レースに参戦するようになり
八王子から富士スピードウェイ千葉県、群馬県まで行っての参戦が続いたのです。

トップになることは無かったのですが
2位・3位・6位と何度か入賞したことがあります。

その後、就職しモトクロスが出来なくなりました。
それは、就職先が飲食店だったため、日曜日に休めなくなってしまったからです。

東京で約6年仕事をしていましたが、あることがきっかけで福島県に来ることになりました。
もちろん僕一人です。

ここでも飲食店で仕事をするので日曜日に休みが取れませんでした。
しかし、何かをやり始めると止まらない僕は、以前から興味を持っていた
ヨットがどうしても忘れられませんでした。

正直、かなり迷いました。

そこでヨット関係の本を読みあさり、デンギーを買おう事を決心したのです
知り合いがいないのと、一人で練習するにも平日なので
事故が起きたときのことを考えると手に入れるのを諦めたのです。

そこで出会ったのが、ラジコンヨットだったのです。
これにはハマりました。

東京までヨットを持って行き
全日本選手権にも参加しました。
このころ、国民体育大会が福島県で開かれ
いわき市がヨットレースの会場に決定したのです。

秋篠宮様と紀子様が来られました。
そのとき、ぼくに声がかかりました。

「お二人がレース海面まで行けないので、
マリーナの中でラジコンヨットを使い模擬レースをやってほしい。」

とのことでした。


ぼくはクラブ員に声をかけ、準備し当日に備えたのです。

当日、秋篠宮様も操縦し 紀子様も
ステキな笑顔で観戦していました。

この時の笑顔がしてもいいと
宮内庁でも評判になったそうです。

この時の模様は、新聞にも、ヨット関係の雑誌にも
随分取り上げられました。

ラジコンといえば、ラジコンのグライダーをはじめたのは
これより4年ほど前になります。


今でもつづけていますが、始めた当初はやはり
コンテストに出るのが楽しみでした。

東京大会で2位になったことがありますが、
全国から集まってくる仲間達と交流することが
とても楽しかったのです。

グライダーに興味を持ち、模型だけではなく
自分も飛んでみたくなりパラグライダーにも
チャレンジして飛びましたが

もともと運動が好きではないので
飛ぶために山を上るのが
辛くてそれ以来やっていません。

僕は一人でキャンプに行くことがよくあります。


あるとき、湖でキャンプをしているとカヌーを
気持ちよさそうに漕いでいる人を見かけました。

その時

「あーー気持ちよさそうだな〜。」

なんて見ていました。

それからしばらくして

「のんびり、カヌーに乗って釣りでも出来たら楽しいだろうな〜。」

なんて考えるようになり、早速、カヌーを手に入れてしまいました。

ところが、そのカヌーは、準競技用の物でした。
早朝、近くの川で練習するのですが、なかなか真っ直ぐ進みません。

何とか思うようにコントロールが出来るようになったころ
いわきカヌークラブから連絡が入り、大会に出場しようと言うのです。

競技は、県総合体育大会と国体の予選です。
まだ福島県はカヌー人口が少ないので、入賞できる可能性があるというのです。


毎週練習を続け参加しました。
ぼくは、初年度2位・3位を取り、翌年も3位をとりました。

それ以来競技カヌーはやっていませんが
カヌースクール の手伝いをすることがあります。

同じ遊びに共感を持ち、そこに集まる仲間達と話をする事は
とても楽しく、また、学びが多くあることを体験してい ます。

もちろんその中からビジネスのヒントも沢山もらいましたし
大勢の人たちとの出会いに感謝しています。

出会いを頂いた皆様、本当にありがとうございます。

おかげさまで、僕の家族は、みな元気です。
愛する妻。そして可愛い可愛い三人の娘たち。
母は現在も健在ですが、父は数年前に
星の彼方へ一人で遊びに行ってしまいました。

そういえば、よく口癖のように

「こうしたらどうなるか考えろ」
「自分がやらなくて誰がやる」

と言われたことを覚えています。
どこの家庭でも言われている当たり前のことかもしれません。
でも私にとって子供の頃から耳にしていたかけがえのない父の声です。

今、僕はこうして自由に人生を楽しむことが出来ます。
そして、何をしようと 何を考えようと私の勝手です。
しかし、父にだけは、きちんと報告できる自分でありたいと思っています。